リレー・エッセイ・会報 59号掲載

■ 「新米カウンセラーであったころ
 ー多くの苦労の末の“新米”の味わいー」

愛知学院大学心身科学部教授 田畑 治

 “新米”の語義は、今年収穫した米、今年米(こんねんまい)ということである。獲れたてであるから、光沢、味、香り、粘りの良さなどが、“古米”に比して数段と優れている。また“米”は、収穫までに“八十八”種の苦労や手間をかけていくことが必要である。
 筆者の場合、カウンセリング実践・研究の主要な場は、大学の心理教育相談室や学生相談室であるが、「新米カウンセラー」の時期は、いつ頃どのようなことをしたか。
 1.新米カウンセラーになる前の教育・訓練を受けた時期:米の苗が植えられ、稲が水分や日光・栄養分を吸いつつ育ち、収穫されるようになる時期は、大学院学生時代であり、主要な場は、大学・心理教育相談室であった。この時期は、カウンセリング実施に際して、クライエントの皆さん方の了承を得て、面接を録音させてもらい、面接後にそれを「逐語記録」にし、ケース会議や「カウンセリング・プラクティス研究会」で綿密に検討してもらうのを常としていた。とにかく、面接後、明けても暮れても「逐語記録」を作成し、夕方には手の指にタコができた程である。これは、自分が実際に行った録音面接を再度聞き直していくことで、応答の適・否を自分自身で吟味するのに良い訓練になった。「逐語作り」の始めは、何と不適な応答をしているかに直面し、嫌になるが、それを我慢して作成していると次第に楽しくなって行くのを覚えたものである。これは“セルフスーパービジョン”と言えるが、今日、訓練中の大学院生があまりこの作業をやらなくなっているように思う。当時の大学院学生は精々6〜7名程度であり、提出する順番も結構よく回ってきていたように記憶する。当時、学外から産業カウンセリングの普及に、と研修員で来ていた氏には「田畑さんは、どういうつもりでクライエントと面接を行っているのか!?」とよく指摘されたのを覚えている。氏は生粋のロジェーリアンであった。研究会で提出して検討してもらう際に、そういうことを言われると妙に腹が立ち、抵抗を覚えたものである。今から思えば、スーパービジョンのあり方を反面教師的に学んだような気がする。
 新米カウンセラーになる前の経験で、学外の研修会への参加も大切なことである。
 一つは、大学院学生になった夏に比叡山・延暦寺の宿院で5泊6日のカウンセリング研修会が開催されて、それに参加した。ここでは参加者中心の“グループ体験”が主であるが、前年に、ロジャーズが来日し、講演会やロール・プレイを行った録音テープも聴く機会があった。このことについては、別項(氏原・村山編、で記しているからこれ以上触れないが、聖なる比叡山の懐に抱かれ、参加者中心の運営による“グループ初体験”とともに、新米カウンセラーになる貴重な経験になっている。人間の成長・変化ということにかかわる重要な考え方に出会った気がする。
 学外での研修経験の二つは、知的障害者の施設(陶器製造で有名な滋賀県信楽町にある信楽青年寮)へのフィールドワークである。そこには、教官や先輩連との共同研究として出入りしたが、知的障害者が信楽焼きの生産を通じて、社会とつながることの自己意識や人格発達の研究に取り組んでいった。この成果は日本教育心理学会で発表された。
 学外での研究経験の三つは、児童相談所での判定業務に嘱託として従事したことである。そこでは、午前中には予約した児童の遊戯観察や心理テスト(知能検査法、描画法、投影法など)を実施して、報告書にまとめることをやり、午後はカウンセリングや遊戯療法に携わっていった。いろいろと忘れられないケースがあった。ここでの新米カウンセラーの研修として、京都から朝早く時間に間に合うように大阪まで通勤したこと、また異職種の専門家(医師、ソーシャルワーカー)や事務の方との協同ができたことなどである。
 2.新米カウンセラーの時期―職業生活の始まり:大学院博士課程を満期で退学して、大学の臨床系助手になった。これも新米助手として、また新米カウンセラーとして、采配を振うことになった。新米カウンセラーとしては、これまでと同様に来談者のカウンセリングに携わるのは勿論のこと、助手としての多様な業務に携わった。教育・研究の実践のみならず、教育や相談室の運営の“雑務”にも関与した。折しも、”大学紛争”の嵐が吹き荒れ始めた。この紛争に来談者が巻き込まれないように避難させたり、相談記録が紛失したり、盗難されないように学外某所に移管するなど、あまり知られていないことが多い。紛争がひとしきりついた頃に、他大学の専任講師で赴任した。当時の大学院生が送別のソフトボール大会を開催してくれたのは思い出になる。
 “初心忘るべからず”という言葉があるが、クライエントが「いま・ここで、何を感じ、何を考え、何を生きているか」を新米だけでなく、古米でも、カウンセラーは絶えず心がけカウンセリングをしていかねばならない。新米の逐語記録つくり以降、今日までことばの水準だけでなく、ことば以外の“声の調子”、“語りの抑揚・ピッチ”、“表情”などからも全体としてのクライエントの生き方が、浮かびあがるようになればしめたものである。またカウンセラーとして、いろいろな職種の人々との人間関係の交流も不可欠である。